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第10回(特別編)ウォーゲームとボードゲームの分水嶺のバナー

じつは前回までの移動のメカニズムで、敢えて触れなかったことが1つあります。それは「隠匿移動」についてです。なぜなら隠匿移動については「移動」のみならず、ウォーゲームにおける「隠匿性」、あるいは「戦場の霧」という大きな命題と直結する課題と思われたからです。したがって今回は、本来であればその続きとして隠匿性について考察していく予定でした。ところが今号の付録および特集(コマンドマガジン162号のページへ飛びます)が「歴史を題材としたボードゲーム」ということで、ちょうど良い機会なので本編は1回お休みさせて戴き、ウォーゲームとボードゲームの関係について考察していきたいと思います。

●溝は深いか?

言うまでもなくウォーゲームはボードゲームの一種ではありますが、ウォーゲーマーと、一般的なボードゲーマーの間には、このウォーゲームに対する認識に差があるように思えます。すなわち、ウォーゲーマーから見たら「これは明らかにウォーゲームではない」と思えるゲームをもってウォーゲームと称している状況にしばしば出会います。
もちろん、そのことをもって一々「いや君、ウォーゲームというものはだね……」などと、野暮な説教を講じる気は毛頭ありません。
また、誰もが納得のいくような定義づけはそもそも難しいとも思います。
とはいえ、論を進めていくにあたって共通認識がないことには話が始まらないので、ひとまずこの項におけるウォーゲームとは以下のように定義したいと思います。

  • ●歴史・戦争あるいはそれに類するものを題材とし、その題材とした事象を一定程度再現可能なゲーム。
  • ●ゲーム内におけるプレイヤーの立場が明確であり、決断内容がプレイに反映されうること。

これに対して、ボードゲーマーが言うところの「ウォーゲーム」とは、「少しでも戦闘が含まれるような対立型のゲーム」であることが多いように思います。しかし、これも人によってかなり温度差といいますか、認識に幅があります。
 たとえば、ライナー・クニツィアの『バトルライン』や、マック・ゲルツがデザインした『Antike』、あるいは袋から駒を引いて配置・戦闘する『ウォー・チェスト』や『デューク』をもってウォーゲームという人もいます。
どれもゲームとしては面白いですし、筆者自身好きなゲームたちですが、ウォーゲームと言われるとどうしても首を捻りたくなります。

はたしてこの認識の差はどこからくるのでしょうか。
それは「指揮官の視点」の有無から生じるのではないか、と筆者は考えます。
多くのユーロゲームにおけるプレイヤーの立場は、やや曖昧なところがあります。
「なにをすべきか」「なにをしなければならないか」は明確に提示されていても、果たしてどのような立場・役割でそれを行うのかについては、ルール上も触れられていないケースが多いといえます。
これに対して、多くのウォーゲームではプレイヤーがどのような立場にあり、どのような役割を果たすべきか明示されていることがほとんどです。また、明示されていないまでも、ルールを読み、プレイをすれば言わずもがなというケースも多いでしょう。

つまりウォーゲームとは、極論すれば「指揮官」のゲームであり、たんに闘争(バトル)のみをテーマにしたゲームとは異なるということです。
そしてもう1点、ウォーゲームと一般的なボードゲームとの差異として考えられるのが、シミュレーション性の有無です。
ウォーゲームの誕生とその進化過程を考える時、シミュレーションとは切っても切れない関係性があります。特定の歴史・戦争・戦闘を再現することを目的とする時、現実であれ仮想現実であれ、再現するための手段として帰納法と演繹法が用いられます。これはほとんどのユーロゲームでは用いられていないように思います。なぜならその必要性がないからです。(*1)

一方で、シミュレーション的な手法はあくまで手段に過ぎません。
考え方は人それぞれですが、少なくとも筆者はウォーゲームも「ゲーム」である以上、「面白さ」を求めます。それは過度のプレイヤー負担とは相容れないものです。
つまり指揮官としての追体験を主眼とする時、ゲームであるなら過度のシミュレーション性はむしろ邪魔にすらなりえます。あくまでその追体験を効果的なものとするために適度なシミュレーション的手法を取り入れるべきではないでしょうか。
そしてこのあたりに、ウォーゲームに対する拒絶反応の種が潜んでいるようにも思います。

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●ウォーゲームは好まれない?

まずそもそも論として、ボードゲーム愛好者の中には「対立するゲーム」を好まない層が一定数います。これは近年の環境によるところも影響しているかもしれませんが、このあたりは文化論や社会学の範疇になりそうなので深くは触れません。
ただ、いずれにしても本論においてこれら「対立ゲームを好まない層」については、いったん枠外において話を進めます。これらの層を除いてもなお、ウォーゲームに対するハードルが高いと感じる人達がいます。その理由・原因はどこにあるのでしょうか。

考えられる要因の1つは、ルールの量、あるいは複雑さでしょうか。また、戦争や歴史を題材としているという時点で、興味を持てないということもあるかもしれません。
しかし考えてみると、我々が普段プレイしているウォーゲームも、ルール量や複雑さは多種多様です。ボードゲームの中でも「重ゲー」と呼ばれるものは、1時間か、あるいはそれ以上の時間を口頭説明したうえでプレイします(そう、ボードゲーマーはインストと呼ばれる口頭説明によってプレイすることが多いのです)。
当然、そのようなゲームはプレイ時間もそれに応じて長くなる傾向にあります。

したがって、ルール量や複雑さだけで考えるなら、重ゲーと呼ばれるボードゲームより遙かにルールが少なく、プレイ感の軽いウォーゲームは数多くあります。
また、戦争や歴史が敬遠されるという点においても、純然たるボードゲームでも歴史的な事象や出来事を題材とした作品は数多く存在し、普通に受け入れられています。

たとえば大航海時代を背景とした『Navegador』や『Endeavor』、古代エジプトをモチーフにした『Ra』や『テケン』、名作の誉れ高い『El Grande』や『Puerto Rico』など、歴史もののボードゲームは枚挙に暇がありません。
つまり、ルール量や複雑性、あるいは題材からウォーゲームを敬遠しているとするなら、それは恐らく「食わず嫌い」ということでしょう。
したがって、そういう人達であれば、面白いと思えるウォーゲームを提示することはそれほど難しいことではないかもしれません。

しかし、もう一つ懸念すべきことがあります。それは想像、つまり「イマジネーション」の問題です。
よく訓練されたウォーゲーマーは、小さな紙の駒の上に、長方形と楕円の組み合わせを見ただけでそこに戦車(部隊)の姿を現出させることができます。
しかし、おそらく一般的なボードゲーマーはそうではありません。たしかにボードゲームも多分に抽象化されてはいますが、それはプレイにおいて差し支えのない範囲においてです。
そしてフレーバーであるがゆえに、置き換えが可能でもあります。システムやメカニズムはそのままに、エジプトのファラオが宇宙皇帝に置き換わったとしてもあまり気にしないかもしれません。

ところが、ウォーゲームは違います。題材の置き換え可能なボードゲームと異なり、ウォーゲームは着ている服を着せ替えるだけで、簡単に別ゲームにすることはできません。
なぜならそこには、前述した「再現性」の問題があるからです。
これが、ウォーゲーマーとボードゲーマーを分ける分水嶺なのかもしれません。

●ウォーゲームを好きになる?

それでは、これまでウォーゲームに馴染みのなかったボードゲーマーに、ウォーゲームに興味を持ってもらうにはどうすればいいでしょうか? またどのようなゲームを作ればいいでしょうか?
アプローチの仕方は様々あると思いますが、ここではメカニクス面からそれを考えてみたいと思います。
もっとも確実で、抵抗が少ないのは既存のボードゲームのメカニクスを流用したものでしょう。

たとえばトランプの「戦争」というゲームがあります。お互いに山札から1枚引いて出し、数が大きいほうが勝利して相手のカードをもらいます。これだけだとまったくの運ゲーですが、これを少し変えて、数枚ある手札から選んで出すことにすると、途端に「選択と決断」が要求され、読み合いと、場合によってはカウンティングが発生します。
このようなメカニクスを使用したボードゲームは珍しくありません。Histogameの『Friedrich』や『Maria』の戦闘処理はまさにこの変形で、出せるカードが任意の複数枚であり、かつ戦闘発生場所による制限(カードに描かれたスートとマップ上のスートが一致している必要がある)があります。

この結果やや複雑化してはいるものの、基本的なメカニクスはシンプルな数字比べであり、そのためかボードゲーマーでもこの2作をプレイしたことがある人は少なからずいるようです。
ゲーマーに限らず、この時代の歴史に馴染みのある日本人はそれほど多いとは思えませんし、まさに「戦争のゲーム」であるにもかかわらず、ボードゲーマーにこの作品が受け入れられていることは大きなヒントになるかもしれません。

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また、『数エーカーの雪』で用いられているデッキ構築のメカニクスは明らかに『ドミニオン』の影響を受けているでしょうし、非対称の陣営による戦いを描いた『ROOT』はCOINの影響を受けている可能性もあります。
一方で、ウォーゲームではお馴染みのメカニクス、たとえばZOCやスタックなどを導入するのは慎重に行うべきでしょう。
考えてみれば我々ウォーゲーマーも、新規のメカニクスに触れ、それを理解し、使いこなすには相応の時間と習熟が必要です。もはやウォーゲームの世界では当たり前のようになったカード・ドリブン・システムにしても、あるいは近年増えているCOINシステムにしても、最初は戸惑い、動かしながら覚えたという人も多いはずです。
 これはボードゲーマーであっても同じで、新規のメカニクスがてんこ盛りのゲームは、それだけで敬遠される可能性が高まります。

ただここで重要なのは、既存のメカニクスを流用するというのはあくまで理解のしやすさのためであり、触れたことのないメカニクスを導入すべきではない、ということではありません。
むしろ、ゲーマーの中には知らないメカニクスを好んでプレイする人達もいます。多かれ少なかれ、ゲーマーとは好奇心の強い人が多いものです。
つまり、未見のメカニクスであっても、丁寧にわかりやすく解説がなされていれば、それはむしろアピールポイントにもなりえます。

これはルールの記述方法や表現方法、ルールブックのデザインにも関わることですが、ウォーゲームにありがちな「文字ばかり」のルールブックは、敬遠される傾向にあります。
この部分にも改善の余地はあるかもしれません。
そしてもう1つ付け加えるなら、なんらかの「興奮する」要素を取り入れるべきでしょう。『Birth of America』シリーズの紹介記事冒頭で述べたような「くじ引き」のようなワクワクする楽しさもいいでしょうし、ギリギリのゲームバランスというのもありでしょう。

ウォーゲームに限らず、カードを上手く取り入れることは、ゲームプレイにランダム性が生じ、リプレイアビリティを高めます。また、ジレンマを演出するにも適しています。
ダイスの使用は、効果的に用いれば興奮する材料となり得ます。
また、ミニチュア(フィギュア)を導入できれば、臨場感を高め、没入感を増すことができます。
ここで挙げたものは現行のボードゲームに取り入れられているものばかりです。以上、ボードゲーマーにウォーゲームを楽しんでもらうには、という主旨で書いてきましたが、反対にウォーゲームがボードゲームに学ぶべき点も多くあります。
そうしてウォーゲームとボードゲームが融合していけば、きっとこれまで以上に面白いゲームが誕生することでしょう。

そのためにも、続々と誕生している若いボードゲームデザイナーにもウォーゲームの存在、そして面白さを知ってもらうことが一番です。
垣根を越えたその先には、素晴らしい未来が待っていると信じています。

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  • 【注釈】

  • (1)こう書いてみたものの、あとからよく考えてみたら、ボードゲームをデザインするには多かれ少なかれ論理的にまとめていかなければならず、これらの論理的手法が用いられているケースも多いかもしれません。
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2021年12月20日発行 第162号

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